田島久士さんは2022年3月31日に急逝されました。この掲示板はみなさんに田島さんを偲び、彼について語っていただく場として用意しました。

掲示板

BBS
アイコン設定
投稿者さん使い方

掲示板の主旨に反する投稿は掲載されません。掲載の是非は管理者が判断いたします。予めご了承願います。
吉岡 潤子さん (8adoearv)2022/4/9 21:42 (No.400883)削除
改善協の会議で、理路整然と熱を込めて司会進行をされているお姿が今でも、心に残っています。いつも笑顔で声をかけてくださいました。新英研東京支部の50周年の集会にも来ていただいたことも忘れられません。12月の記者会見の際は、お元気なご様子でしたので、突然の訃報に驚きました。まだまだこれからも田島さんのお力は多くの場で必要とされていたと思うと、とても残念ですが、英語教育に献身的にご尽力いただいたことに心より敬意を表します。ご冥福をお祈り致します。
返信
返信0
関口昭男さん (8adiye6l)2022/4/9 19:10 (No.400730)削除
突然の訃報に驚いています。もうだいぶ前のことですが、田島さんとは外国語教育改善協議会(改善協)で初めてお会いしました。語学教育研究所の代表として参加され、いつも教育関係の新聞記事を時系列で整理したものを持参され、
その時々の教育界(特に外国語教育に関する社会の動き)を知り、とても参考にさせていただきました。新英語教育研究会(新英研)代表の一人として参加した改善協の後や神奈川新英研の月例会後の懇親会でも食事をしながら様々な話をする機会がありました。穏やかな口調の中に毅然とした考え方をお持ちの方でした。コロナ禍で直接お会いしたのは数年前になってしまいましたが、本当に残念です。もっと沢山の機会にお会いして話をしたかったです。合掌
返信
返信0
河村和也さん (8adfuvup)2022/4/9 17:43 (No.400690)
英語教育に関するさまざまのことをご存じで、どんなときにも頼りになる大先輩でした。
語学教育研究所(語研)で出会いましたが、いわゆる「語研」の枠組を超えるおおらかな発想をお持ちの方でした。
改善懇・改善協に語研の代表として出席するよう、たびたびうながしてくださいました。
語研の100周年のことを心配し、英語教育史に関心を寄せているわたしにいつも声をかけてくださいました。
ワープロでこしらえた、ちょっとかすれた年賀状を毎年くださいました。
あの「たーさん」がお浄土に還られたということが、今でもまったく信じれれません。
信じられぬ思いのまま、ただただ追憶しております。
南無阿弥陀仏。
返信
返信0
江利川 春雄さん (8addv7qy)2022/4/9 16:56 (No.400672)削除
日本の英語教育の現状を心から憂い、実践・批判・行動を続けた人。それが田島久士さんです。
語学教育研究所や日本外国語教育改善協議会などを拠点に、英語教育に関する最新動向を素早くキャッチされ、よくメールで知らせてくれました。
若林俊輔先生の早すぎる逝去(2002年)のあと、若林先生が担当されていた大修館書店『英語教育』増刊号の「英語教育日誌」を担当されるなど、「第二の若林先生」のイメージでした。その後、僕も「英語教育日誌」(2010〜2018)を担当するご縁をいただき、田島さんから学びました。
田島さんらしい論考を一つ紹介します。「語研だより」313号(2015年6月)の「教育の内容は誰が決めるのか?」(PDFを添付)です。
田島さんは戦後初の学習指導要領(試案)を紹介しつつ、教育課程を国家が画一的に決めることを痛烈に批判し、次のように締めくくっています。

「本来ならば、 目の前にいる学習者(児童・生徒・学生)に接して、教授者が判断して、「教育の内容を決める」べき ものなのである。これが教育の「あるべき姿」と考える。「ことばの教育」であれば、それが最も必要 だと考えるからである。このままでは、「エリート作り」だけに手を貸すことになりかねない。」

本当に惜しい人を亡くしました。
心からご冥福をお祈りいたします。
語研だより313田島論文
返信
返信0
柏村みね子さん (8adawlvk)2022/4/9 15:25 (No.400638)
田島先生とは、私が新規採用の品川区でお会いし、区の英語部会でお世話になりました。その後は語研の代表で改善協(日本外国語教育改善協議会)の世話人として重要な役割を果たされており、いつも笑顔でおられるけど、英語教育施策についてはパワフルに語っておられたのを覚えています。最近では、スピーキングテスト関連の記事が報道されると、情報提供です!と送っていただくこともありました。ついこの間のことです。メールを見たら、3月30日のことでした。まだご連絡がありそうな気さえします。ご冥福をお祈りいたします。
返信
返信0
匿名さん (8ad7zsm6)2022/4/9 14:03 (No.400601)
ぼくより,4,5歳お若いとおもうので,ちょっと驚いています。田島先生とは,深くかかわったことはありませんが,よくいろいろな研究大会などでお見掛けしたので,懇親会等でお話をさせていただきました。いつもなかなか考えさせることをお聞かせくださいました。ありがとうございます。田島先生,ご冥福をお祈りします。たぶん,僕ももうすぐそちらにいくとおもいますので,また,お話を聞かせてください。
匿名さん (8ad7zsm6)2022/4/9 14:04
上の投稿ですが。酒井志延です。
返信
返信1
大津由紀雄さん (8ad3xcr2)2022/4/9 12:36 (No.400564)
わたくしは1975年3月に東京教育大学大学院文学研究科修士課程を修了し、その4月に
和光大学人文学部に専任講師として赴任しました。そこで出会ったのが田島久士さんです。生前、
田島さんはあるところで、こんなことを書いています。

ー--
◎田島久士さんから
 (大田区立糀谷中学校、一般財団法人語学教育研究所理事、ELEC同友会英語教育学会理事) 
大学時代に大津由紀雄先生に出会ったのが、英語教師になった大きなきっかけである(他にも影響を受けた先生は
多数いるが)。そのおかげで、大津先生の恩師である故伊藤健三先生や故太田朗先生が当時中心となって活躍されて
いた財団法人語学教育研究所(以下、語研)や英語教育協議会(以下、ELEC)のことを教えていただいた。
どちらの民間教育団体もDirect Methodに基づく教授法を長年にわたって提唱してきている。そして、大津先生が
当初考えていた「日本の英語教育改革」(今、誤った方向に行こうとしている)を共に目指していきたいと考
えた。語研やELECの考え方を「(検定教科書を使って)学校現場でどう実践していくのか」、私の長年の課題である。
http://www.shin-eiken.com/act/reikai/2020/tokyo2003.html
ー--

当時、わたくしはまだ27歳であったので、田島君(もうここからは常日頃からの呼び方にさせてもらいます)とは
10歳と離れていません。1,2年生時の大津プロゼミを経て、3年時の大津ゼミの前期までを一緒ににぎやかに
過ごしたところで、わたくしがMITへ大学院留学をすることとなってしまいました。しかし、それまでの
2年半は他の大津プロゼミ・ゼミのメンバーとともにかなりの時間を共有しました。田島君は生き方は不器用でしたが、
心底まじめな人で、メンバーのまとめ役としてもがんばってくれました。

その後、田島君は英語教師となるのですが、たしか、彼はわたくしが担当していた英語科教育法の講義を受講した
はずです。いくら英語教育に強い関心があるとはいえ、修士課程を出たばかりの、教育実習以外は教壇に立ったことが
ない若造に英語科教育法を担当させてくれたのですから、和光大学も太っ腹なものです。そこで、当時わたくしが
考えていた「英語教育改革」の構想の話をしました。使える英語を身につけることができる学校英語教育にしなくては
いけないという、少なくとも表面的には現在のわたくしが批判の対象として英語教育政策に似たところがある構想です。
田島君が上の引用で触れているのはこのことです。

田島君はきっちりとものが考えられる人でしたので、わたくしの英語教育観の「変節」もじつは変節ではないのだと
いうことを正しく理解しました。そして、ここ20年近くはわたくしの英語教育関連の活動をいろいろと支えて
くれていました。

去年の暮、12月27日に都庁で行った、東京都の英語スピーキングテストを都立高校入試に導入することに反対する
記者会見にもかけつけてくれました。そして、そのあと、ともに一献傾けたのが最後となりました。

田島、お疲れさま!大いに助かったよ。
返信
返信0
大津由紀雄さん (8ad3xcr2)2022/4/9 12:09 (No.400550)削除
田島久士さんは2022年3月31日に急逝されました。この掲示板はみなさんに田島さんを偲び、
彼について語っていただく場として用意しました。この掲示板は写真などもアップできますので、
お持ちの方はぜひよろしくお願いいたします。
返信
返信0

Copyright © 田島久士さんを偲ぶ, All Rights Reserved.